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今回は歴史の勉強です

皆さん、普段しっかりと歯みがきしていますか?

食後や寝る前、お出かけ前にはいまや習慣となっている、ハミガキや歯ブラシにも歴史があります。

歯を磨くという習慣となったのはいつからでしょう。それはインドが始まりなんです。最初に歯みがきを提唱したのはお釈迦様。修行の最中に、弟子の口の臭い事が気になったお釈迦様が、戒律のひとつとして、口の中を綺麗にすることを弟子に指導したのです。その後、日本へ仏教の伝来と共にハミガキが日本につたわりました。始めは僧侶の間で習慣となり、公家そして江戸時代には庶民も歯みがきをする習慣が広がりました。しかし日本に歯みがきの習慣が伝わる以前の、縄文・弥生時代にも人々が歯を磨いた形跡が残っているそうです。

昔は歯木(はぼく)といって、柳の小枝の一端を噛んで房状にしたもので歯を磨いていました。江戸時代になると、木の文化の国といえる日本独自の発想で房楊枝を考案しました。房楊枝とは、柳や黒文字などの木の幹を割って小枝にし、その一端を煮て、木槌でたたいて房状に加工したもので、より口の中に合う形になりました。これに注目した商人たちが、京都や大阪や江戸で売り始め、庶民にも馴染みのある口腔ケア用品となったのです。

歯ブラシとしてのはじめての発売は、明治5年に発売された鯨楊枝です。明治時代の歯ブラシは鯨楊枝と呼ばれていました。今のような歯ブラシという名がついた商品が登場したのは大正2年です。そして今日にいたるまで、この歯ブラシはヘッドの大きさ、毛の長さや材質、毛先の形状、ハンドル部分の形や長さなど、様々に進化しています。

また、歯磨き粉も同じです。歯磨き粉の無かった頃は、塩を使い指で歯を磨いていました。江戸時代になってからは、房州砂(粘土の細かい粒)に香料を混ぜて作られていました。明治になると砂から無機粉体を原料とするハミガキへと進化します。このハミガキは粉状で袋に入れて販売していました。今のようなペースト状でチューブに入ったハミガキが登場したのは明治44年です。今でも歯磨き粉と呼ぶのはその頃からの名残なんですね。

今ではペースト状だけでなく、液体やジェルタイプもあり、様々な有効成分が配合された歯磨き粉に進化しています。

ハミガキにも歴史あり!歴史を感じながら、ブラッシンングで口腔内を綺麗に保ちましょう。

今なら当院院長野原昌彦監修の冊子
医院名
医療法人のはら歯科クリニック
住 所
大阪府堺市南区鴨谷台2-1-7
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電 話
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